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哲学者は、空いたグラスを笑顔で見つめることのできる者?

何となく良いなと思って買ったコースターですが…

 

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‘A philosopher is a man who can look at an empty glass with a smile’ Tommy Dewar


(直訳:哲学者とは、空いたグラスを笑顔で見つめることのできる者である-トミー・デュワー)

 

 

夫に意味を尋ねられ、雰囲気で何となく意味を理解したつもりになっていた自分を恥じました。空いたグラスを笑顔で見つめることのできる者?

 

 

哲学者とは、哲学を研究する学者(goo辞書調べ)。
そして、空いたグラスを笑顔で見つめることができるという能力も備えている。
そういうことでしょうか?

 

 

なぜ、空いたグラスを笑顔で見つめることができるのか。

 

哲学者でない者は、空いたグラスを笑顔で見つめることができないのか。
杯が乾く前に次を注文していて空いたグラスを見つめる暇がないとか、酒が無くなってしまって悲しんだり怒ったり、視点が定まらないとかそういうことか。
そう考えると、哲学者でない者は、ちょっとヤバそうである。
無関心ゆえに無表情になる場合もあろう。その場合、哲学者でない者は、酒好きではなさそうだ。

 

 

シンプルに考えると、哲学者は、ヤバくない酒好き、そんな風にも捉えられる。

 

 

そもそも哲学とは、智を愛する、を語源とし、世界・人生などの根本原理を追求する学問(goo辞書より抜粋)。

 

空いたグラスを笑顔で見つめることから、空いたグラスを愛する、つまり智を感じているのだろうか。

 

偏見だが、哲学者は空いたグラスからも、諸々の思いや考えを巡らしそうである。
目の前に酒が存在していた(かもしれない)ということ。
これだけでも考えるテーマは十分にありそうだ…たぶん……

 

哲学者は、空いたグラスにも智を感じる。
そういう意味だとして、だから何だというのだ。

 

 

そもそもどういう心境で空いたグラスを愛でているのだろうか。

 

これを格言ぽく言ったトミーの気持ちが全くわからないので、自分ならどうか?と考えてみた。

 

グラスに入っていたお酒が好きなものであれば、ああ飲み干してしまった、と残念に思いながらも、いつまでもグラスに残った匂いをかぎ、余韻に浸るだろう。

 

逆に嫌いな酒であれば、不味い酒飲ませやがって、人生の時間を無駄にした、と心の中で舌打ちするだろう。

 

 

いずれにせよ、ちょっとヤバい人だ。
私は、哲学者ではなかった。

 

 

 

 

トミーの意図が本当に解らないので、どなたか私に智を授けてください。